坂越の牡蠣の歴史
赤穂市・坂越湾での牡蠣養殖は昭和49年(1974)に始まったと言われており、続いて相生市・相生湾で昭和53年(1978)、たつの市・室津の地区は平成10年(1998)から養殖が始まっている。
兵庫県の牡蠣養殖の主要産地はこの三つの産地となる。
とはいえ広島、岡山に比べれば、まだ歴史は浅く生産量も少ない。(2020年12月現在)
- 広島県 95,634t 1位 シェア60.2%
- 岡山県 15,461t 2位 シェア9.7%
(平成28年度統計)
当時巾着漁(きんちゃくりょう)やサワラの「はなつぎ漁」をしていた私の祖父と父は、年々漁獲量が減少していく中、他に何かの可能性を模索していたようだ。
同じグループで漁をしていた仲間の一人が牡蠣養殖がすでに盛んだった岡山県の出身だったため、牡蠣養殖を試しに始めたのがきっかけだと教えられています。
牡蠣養殖を始めると、その出来栄えと品質は目を見張るもので、年々生産量を増やしていき、瞬く間に全国へと出荷されるようになる。
近隣の海域も続いて牡蠣養殖を開始。
兵庫県の牡蠣生産量は平成9年に全国4位、平成23年には全国3位の生産量まで成長していった。
坂越湾では、潮の流れが比較的緩やかで近くを流れる清流・千種川という二級水系の本流が流れているため、植物性プランクトンが増殖する環境が整っており、ミネラル豊富な水流と地形が偶然ではなく、必然的に「坂越の牡蠣」の品質を生み出しているのだろう。
知ってか知らずか、牡蠣養殖にたどり着いたことは、この坂越の漁業の歴史において最も開進的なことだったのかもしれない。
今こうして牡蠣の養殖に携われているのも、祖父、父親を含む当時の漁師たちが可能性を模索し、研究と努力を積み上げ、「坂越ブランド」を作り上げたおかげ。
いかなることがあっても、この「坂越ブランド」の伝統は、これからも繋いでいかなければならない。